11/11/2011

忙しいママにもわかるICRP勧告書 -その6

さて、ICRPの勧告書(Publication 111)の意訳を忙しいママのために、続けます。 いよいよ、原文でいうと、勧告書の中核となる第3章にはいります。(これまでは、第2章について、かいつまんだまとめでした。) 前にも(その2)述べましたが、ICRPは、原子力推進の立場だという批判されることも多い団体です。どうしてかな、って考えながら、読むと興味深いです。


今回の黄金熊のよるポイント: ICRPによれば、正当な政策とは、住民の被曝を最小にする政策とは限らない。
日が空いてしまったので、まず、さっとこれまでのおさらい。 この勧告書は、広域汚染の結果として、住民が長期にわたって、外部からも内部からも被曝せざるを得ないという事態を想定してます。しかも、広域汚染のパターンは、まったく一様でなく、市町村間だけでなく、隣近所の間、同じ屋根のしたの住む人の間でさえ、汚染や被曝の格差をおおきいという厄介な事態となっている。しかも、汚染とパターンは、時間とともに変化もする。その上、住民たとえ低線量でも食べ物など通して継続的に内部被曝することで、体内の被曝量が増え続け、恒常的に高レベルの被曝をしていることとなってしまう。このような大変な事態(まさに、今の福島第一原発事故の様相だとおもうのですが)、どうやって対処すべきなのか? どうやって住民を放射線汚染から防護するのか? これをICRPが書いたのがPublication 111といわれる勧告書というわけです。

で、今日の本題。ICRPは、まずは、放射線防護策は、正当化できるものでなければならないと、いっています。あたりまえじゃんって思いますが、実際に、どういう対策が正しいと決めればよいのか。ICRPのよれば、正当性とは、「利」と「害」を比べて、「利」の方が多いということのようです。この考え方の前提として、どの放射線防護策にもコストとベネフィットがあると理解されています。そして、ICRPの言うところのコストとは、単に防護にかかる金銭的費用のことだけではなく、社会的なコスト(「害」)をさしています。ICRPは、コストと、被曝の危険を減少させるということのメリットを、天秤にかけろといっているわけです。肝心なのは、ICRPは何が何でも、住民の被曝を、最小にするべきだとは、言っていないのです。社会的,又、政治的な配慮をすべきだということなのです。

たとえば、汚染された農作物の消費を防ぐために、汚染地域で農作物を作らせないという選択もあります。でも、その場合、汚染地域の農業は潰されることになります。それは地域経済や地域社会の崩壊につながりかねません。また、外部被曝を減らすために、住民に安全地域への移住をを強制すると言う、選択もあります。その場合も、個人レベルでは、移住に伴う費用や住み慣れた環境を離れることからの精神的苦痛といったコストがあるでしょうし、地域社会が壊れるだけでなく、国も膨大な補償も抱えることになります。だから、実際にどれだけ住民や地域社会に被曝防護へ有益なのもであるか、吟味しろというわけです。

まあ、現存の社会を維持するということを念頭におけば、理解できないこともないのですが、こういい勧告は、住民の安全を一番に考えない政策を肯定するために利用されそうで危惧します。お国のため社会のためということで、住民の被曝防護より、経済保護を優先する口実になってしまうのではないかと。こういうところに、ICRPの、原発産業寄りといわれるスタンスが見え隠れしているような気がします。 子供の被曝を心配するママたちは、やっぱり極力被曝を減らす避けることを願いますよね。 生活という現実もあるのは、わかるが、それでも、出来る限りのことをしてほしい。  ICRPの勧告書は、そういう考えを正面から否定するものではないけれど、住民の健康と社会の便益を天秤にかけるのは矢も得ないということなのです。