6/10/2012

なぜ、原発再稼動を判断するのに、安全性が問題にされないのか?

F1事故は現在進行中、しかも事故初期の検証さえできてない。それなのに、安全性に疑問が残る大飯原発の再稼動などありえない、と思うのですが、政府は 再稼動に、躍起になっているようです。  再稼動の判断にあたっては、当然のことながら安全性が最重要課題とされるはずだ、と、思っていたら、どうやらそうでもないようです。 で、本当に、理解にくるしむのですが、どうしてかな~と、考えて、つぶやいたこと (肝は(4)と(5)です。):

安全性の考え方(1)原発の稼動のリスク(R) = 起こりうる最悪の被害(L)× 起こる確率(P)。 論理的な稼動賛成派は、どんな大きなLでも、Pを小さくすることで、リスクの値(R)は、社会的に許容できる範囲に抑えられる、と論ずる。

安全性の考え方(2)なにがなんでも推進派は、原発稼動のリスク(R)は、値に関わらず社会的に許容できる範囲にあるものと、定義してしまっている。それじゃ、安全性を考慮してないという批判をかわすため、彼らは、論理的な稼動賛成派の論点を利用する

安全性の考え方(3)論理的な稼動反対派の多くは、起こりうる最悪の被害(L)に社会的に許容できる最大値(M)があるとする。論理的な賛成派は、そのよ うな最大値は想定しない(想定したとしても、L<Mと考える。) だから、賛成派と反対派の論議はかみ合わず平行線になりやすい

 安全性の考え方(4)論理的な原発稼動賛成派には、最悪の場合の被害を社会的に許容できないと主張するより、起こりうる被害(L)や 確率(P)が彼らの想定以上に大きいことを、データで示せばよい。論理的な人間なら、データをみれば、納得して意見を変えるだろう。

安全性の考え方(5) なにがなんでも推進派とは、安全性を論議しても無駄。リスクのデータを示しても無駄。彼らの動機を崩すほうが有効だと思う。表向き は電気不足だが、本当の動機は何だろう? ただの利権なら、国民が本気で推進企業の不買運動や推進反対デモや選挙運動をすれば、崩れるだろう。

安全性の考え方(6)なにがなんでも推進派の中には、利権が動機でなく、原発を安全保障の一環として考えている勢力もあると思う。だから、脱原発のサポー トを広げるには、脱原発と安全保障を切り離して考える視点を示唆するとか、原発の安全保障面でのリスクを論議することも、必要かもしれない。
 

大飯原発再稼動をめぐる現状をみていると、再稼動を後押しする人たちは、わたしが考える論理的な賛成ではなく、原発利権がらみのなにがなんでも推進派が多数を占めているように感じます。こういう人たちに対抗するためには、私たち市民が声をあげ、反対派の人たちが繋がってひとつの勢力となっていくことが大切だろうと思います。