3/23/2012

日本の専門家のみなさまに伝えたいこと

今回の東電原発事故は、事故の解析から被害の分析と予測にいたるまで、事故の意味を理解するのに、専門知識が必要た。だが、今回の原発事故後、日本の学者や専門家の声があまり聞こえてこない。 これからの事故収束や放射汚染政策をたてるのに、専門家が英知を分かち合わなければならないのは、専門家自身が一番よく分かっていると思う。声を潰そうという勢力もあるのだろうし、陰ではいろいろなところで活躍があるのだと思う。表に出てくることが全てとは思わない。だが、果たして全力投球で問題に向き合ってくれているのだろうか。専門家が立ち上がらなければならない今、すべてをかけてくれているのか。 自分はもうできることは全てしている、という専門家の方もいるだろう。だが、そういう人は、実は、ほんの一握りではないのだろうか。

If not you, who?   If not now, when?   

わたしはこの言葉を専門家と自負している人に投げかけたい。原発事故や放射汚染と関連することで、少しでも貢献ができるなら、行動に移してほしい。残念だが、原発や放射能の問題は素人にはよく理解できない。専門性が高すぎる。わたしのような素人が付け焼刃の知識で語るべきではない部分が要所にたくさんある。専門家にがんばってもらうしかないのだ。

アメリカ人の原子工学部の教授が、次のような感想を漏らした。

日本政府や東電はデータを隠しているとしか思えない。また次々に明らかにされるいるように、政府や東電の原発事故に対する想定の甘さが目についた。政府の対応のまずさや東電の隠蔽については、どこの国の政府や産業にもありがちなことで、日本ならもう少し違った対応があるかとおもったので少し意外ではあったが、まったくの想定外ではなかった。実は、自分が一番驚いたのは、日本の研究者の対応だった。当初、日本政府や東電の対応について、必ず日本の大学や学者や専門家の間から厳しい批判や質問が矢次に出てくるに違いないと思っていた。でも、そうではなかった。信じがたい。本当に意外だった。

彼は私の目をじっと見つめてそう言い、それでは駄目だよというかのように、首を何度も横にふった。 わたし自分のことを言われているわけでもないのに、いたたまれなくなった。

批判の声をあげている学者も専門家もいますよ。あまりマスコミにとりあげられてはいなけど。 

わたしは、日本の専門家をかばうかのように、力なくつぶやいた。でも、思った。声が届かないのは、マスコミのせいだけではないのだろう。 

教授は、原子エネルギーについては、それ自体は、反対でもなく賛成でもない。ただ核のごみの処理の問題も解決や、原発の稼動に伴う危険を妥当に評価もせずして、原子力エネルギーを追求するのはどうかという意見はもっている。政治色のない技術屋タイプの人だ。米国の名門大学の長年研究してきて、彼も彼の教え子も核科学の最先端で活躍している。そうような彼が日本の学界や専門家を見る目は冷めているようだ。

日本の原発、放射能、各政策など関連分野の専門家の方たちに、今一度問いたい。 If not you, who?   If not now, when?     課題は山積みだ。 反原発だろうが、推進派だろうが、中立派であろうが、個人的な立場はどうでもいい。311後の日本を立て直すためは、様々の意見を持つ専門家たちが徹底的に自分たちの持つ限りの知識と経験に基づいて議論しながら、政治家や行政や市民とともに、答えを模索するしかない。 

この一年ふりかえっていみて、日本の専門家という勢力が、その能力を最大限に発揮して震災後の日本の舵取りに貢献したとはいえないとおもう。日本には優秀で勤勉な科学者や技術者がそろっていることは、世界の知るところである。この未曾有の危機に際し、この優秀な専門家集団(とくに、大学や研究機関にいる中立の立場のはずの専門家たち)が威力を出すだろうと期待した同業者は少なくない。だが、いまのところその期待は裏切られた感がぬぐえない。いくら専門家が声をあげたところで、耳を傾けてくれないといって、あきらめてもらっては困る。耳を傾けないなら相手を、傾けさせることも、専門家の仕事だと思ってほしい。 今年こそは、エキスパートが活躍してくれることを、心から願っている。