7/07/2011

日本から帰ってきました

夫なし子供なしの3週間はあっという間にすぎ、暑い日本から 帰ってきました。
ベイエリアは爽快です。  

いろいろ見てきたこと考えたことを 少し書き留めておきます。

まずは、被災地について。 実家は被災地にあります。 親の家は高台にあり、地震で壁に亀裂が入ったりしたものの、まあ、大丈夫でした。家の前の通りの風景も全然変わりなく、これて罹災証明もらっていいんでしょうかね~って感じでした。 家の庭から遠くに海を眺める風景も、近くに出来た仮設住宅の屋根以外は変わっていません。だから、実家の家にいると、大地震や大津波に襲われた地域といわれても、あまり実感できないくらい。 

でも、ちょっと歩くと、あまりに変わり果てた光景に目を疑います。何も変わってないかに見えた実家から50mもあるけば、まず、驚くほどの大きさの瓦礫の山が、岡の上にあるのが、目に留まります。このごみの山、本当にすごいです。そこから、異様なにおいはするし、有害な粉塵がとんできているようで、放射能も怖いが、瓦礫ごみによる環境汚染も 大変なものです。 なにしろ、大津波ですべて、ぐちゃぐちゃに、なってしまったわけで、古い家からはアスベストやら、農家や工場にあった化学物質やら、家庭から出る危険ごみも、みんな一緒にヘドロと共に、ごみとなって山と積み上げらているという感じでした。

そこらからまたちょっとあるけば、海岸線まで続く田舎道。 例年なら、この時期、田んぼや畑のみどりが鮮やかで、その先には、海岸どおり沿いの松の防風林と民家がたちならぶ のんびりとした光景でしたのに、その跡形もありませんでした。 海岸どおりに在ったはずのペンションの屋根だけが、1キロほど流されて、いつもなら田んぼがあるはずのところに、のこっていました。 壊れた車や、倒壊した家屋の残骸が、まだあちらこちらに散らばっており、もち主は、大丈夫だったのろうかと、暗い気持ちになります。 海岸近くの低地の、住宅地。土台だけしかのこってませんでした。 瓦礫とごみはいたるところにあり、これでも、ずいぶん綺麗になったのだと推測できましたが、復興どころか、後片付けだって、まだまだです。 ぜんぶ、きれいにするだけでも、2年以上かかるんだろうと、想像してます。それから、田畑を使えるようにしたり、住居を建て直したりして (幸い町には、高台の地域もあるので、安全なところに住み移る人たちもいるでしょうが)、元の町の姿に戻るのは、最低でも3-5年はかかるでしょう。 経済的の復興ということもかんがえれば、10年はかかるのかもしれません。

仙台の荒浜地区も見てきました。数百人もの犠牲者がでたとこです。実家の町もたいへんだけど、荒浜地区は、もう言葉にはできないです。 どこまでも平らで、逃げるところもなかったようなところです。 そこの海岸が、割りときれいで、海がとても穏やかで美しかったのが、余計にかなしかったです。